エンターテインメント
2022年11月14日"本来なら集う必要はない"。ここ数年さまざまな都市の街頭で頻繁に行われているフェミニスト集会を再現するシーンで、この映画の登場人物の1人はこう主張します。
この記事を読んでいるということは、あなたも私と同じように、そしてこの映画「ざわめき」の製作陣と同じように、私たちが掲げるテーマに何か興味を引かれたからなのでしょう。おそらく私と同じように、訳もなく人の痛みが自分の心の奥底に響いて、とても個人的なものに思えてくるのではないでしょうか。メキシコに蔓延するさまざまな暴力に運良く巻き込まれなかったとしても、人の痛みはあなたの痛みでもあるのです。誰であろうと同じ痛みがそこにあるのです。あなたと私が一度も会ったことがなくても、同じ痛みを分かち合うことができます。そして、矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、私たちを結びつけるのはその痛みではなく、愛と共感なのです。これらの概念と、世界に対する向き合い方を通して、私たちは1つの共同体としてこの物語の中に、変化という希望の光を垣間見ることができるのです。
私にとって3本目の長編映画となる「ざわめき」は、これまでで最も大変なプロジェクトでした。はからずも私の母フリエッタ・エグロラが主演を務めることになった映画「ざわめき」は、現代のメキシコを舞台に、娘を捜索する母親の物語を描いています。一見、ホラー映画のジャンルに近いストーリーのように見えますが、この映画を作った私の原動力は、その対極にあります。
メキシコ人女性として、1人の少女の母として、そして映画製作者として、私は、長い間私たちを打ちのめしてきた、このきわめて暴力的な社会の潮流を覆す可能性について、心と精神の両方を捧げてじっくり考えることは避けて通れない道だと感じています。一筋の光明を見出すために私は、自分自身の義務について自問する必要があるのです。この映画のために、またこの映画とともにリサーチと気づき (終わりのない学習曲線を描き続けること) を実践している間、私は自身のデジタルな世界 (それがSNSであるなしに関係なく) を埋め尽くす多くの恐怖の中で、日々安らぎを見つけることができました。そして、捜索組織であるVoz y Dignidad por los Nuestros S.L.P. (大切な人たちのための声と尊厳、サン・ルイス・ポトシ) という団体と手を取り合うことで、温もりと光を見出したのです。
スクリーンでは失踪者を捜索する2つの組織が自らの言葉でストーリーを語りますが、Voz y Dignidadは、そのうちの1つです (もう1つの団体はBuscándote con Amor Edo. Mex)。精密さを重視し、あらゆるものを分類して意味を持たせようとする人々なら、この映画を"ドキュフィクション"と呼ぶかもしれません。しかし私はむしろ、境界線を引いたり消したりする自由な行為が、私が心惹かれるものを紡ぎ合わせた「ざわめき」という作品の形を作ったと考えています。この2つの組織の設立者であるルピタとエディス、ダイアナの3人から、自由に行動することの意義を私は学びました。彼女たちのおかげで、彼女たちの大切な人たちを捜し続ける不断の忍耐力、そして彼女たちのストーリーにおける記憶と正義と真実のおかげで、喜びを体験したり、他者と共感したり、笑ったり、デモ行進をしたりすることは、抵抗でもあると理解できました。それらは変革の原動力となる集団としての力なのです。
映画の大部分を撮影したサン・ルイス・ポトシ州に再び戻る機会を得て、製作に携わったすべての人々だけでなく、特にVoz y Dignidadのみなさん (そして全国から集まった5つの捜索組織の代表者たち) に完成した作品を観てもらえたことは、私のこれまでのキャリアの中で最も強烈な体験のひとつとなりました。
数日前に行われた上映会で、私たちがこの映画を作った理由を非常に強く再認識できました。観客との対話の中で、ある少女が、撮影中にエキストラとして参加してくれたことや、この映画を通じて、失踪した大切な人を捜索する社会的組織がサン・ルイス・ポトシにあることを知ったと話してくれたのです。この少女は2019年から父親を捜し続けており、Voz y Dignidadと連絡を取ったのは上映会のときだったそうです。
大切な人を捜索したり、どこにいるのか案じたり、誰が連れ去ったのかと思い悩んだりする必要など、本当はないはずです。"本来なら集う必要はない"はずなのに、私たちはここに集まっているのです。
Lucy Hernandez
メキシコ広報担当
lucyh@netflix.com
